僕がマーベル作品に手を出せなかった理由と久々に読んでみて感じたこと

このブログではこれまで様々なトピックを取り扱ってきましたが、未だ手を付けていなかいものがあります。それがマーベル関連作品です。


思い返せば筆者のアメコミとの出会いはDCコミックスが最初でした。それからDCコミックスの終わりなき多元宇宙の渦に巻き込まれて現在に至るわけです。時にはアメコミから距離を置いたことも多々ありましたが、気が付くとここに帰ってきているのです。僕の人生において、アメコミは一種の心の拠り所なのかもしれません。


そんな僕のアメコミライフですが、マーベルというものが登場するのは決して少なくありません。現にMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)作品を観ることもありますし、気になった作品群(特にスパイダーマン系が多かった気がします)の邦訳にも食指を伸ばしています。しかし結局のところ僕にはDCの作風といいますか、雰囲気のようなものが肌に合うようで、なんだかんだ言って本格的にマーベル作品を読み続けてないのが現状です。


もう少し僕がマーベルから疎遠になった理由について掘り下げてみることにしましょう。

現在は数多とあるアメコミ邦訳ですが、僕がこの界隈に入ったときは1年でここまで多くの作品が刊行されること、ましてや本国で発売された話が1年も経たずして発売されることなど夢のまた夢といった状況でした。Twitterで本国で発売された新刊をリアルタイムで読んだ方のツイートやそうした方々が書いたブログを見て、英語力が未熟だった(今も大して誇れるどころか日常レベルにすら到達しているのか危ういですが)自分は「早く邦訳されないかなあ」と邦訳される確証もないのに期待していたものです。


そんな時代でもあって、僕にとって邦訳作品を買うことだけが唯一アメコミに触れられる機会だったのです。しかし邦訳作品を買うという工程において、今以上に悩ましかったことがありました。これは現在においても続いていることではありますが、基本的に邦訳アメコミというのは決して安いとは言えない値段です。

現在の平均は大体が2000円台、高いところになると4000円台ぐらいだと思いますが、当時は今以上にアメコミが高かった。今だと2300円ぐらいの厚さの作品が4000円ぐらいすることが少なくなかったのです。こうした経済的な理由から僕が買える邦訳作品の数は(現在に至るまで)おのずと限られていきました。


さて、ここでこうした経済的な理由に加えて僕の悪い癖が影響してきます。これは他のことにも言えることなのですが、基本的に僕は何か新しいものに手を出す時、最初から追わないと気が済まないのです。例えば新作ドラマを見る時、第3話から見るなどということはもっての外。1話から見られないと一気に見る気が無くなってしまいます。この癖が例によってアメコミにも適応されてしまうことになります。

当時店頭に置かれていたアメコミのほとんどはマーベル作品でした。DC作品を幾つか読んでそろそろマーベルも読んでみようかなと思った時、手に取れる作品はいくらでもあったのです。しかしここで問題が発生します。帯や中身を見てみると、どうやら前に刊行された作品と話が繋がっているようではありませんか。

今でもそうですが、ヴィレッジブックスさんの邦訳ラインナップにある時系列を見ると、恐ろしいほどに多くの作品が繋がっているのが分かります。この図を見てしまった僕はこう思いました。「一番最初から読まないと」と。しかしそうやって最初から買っていては、あっという間に財布が空になってしまいます。

大量にあるマーベル作品を一から集めるか、それとも数が少ない愛着のあるDCに絞って極めるか。

僕の下した決断は後者でした。こうして僕はDC一筋に近い人間になっていったのです。


そんなこんなでDC作品を読み続けるうち、気が付くとこの有様になっていたというわけです。気が付けばヴィレッジブックスさんの時系列図はますます途方もない数の作品で埋め尽くされ、もはや最初の方の作品は手に入れることすら難しくなってきています。
最近は割と忙しくなってきたこともあり、恐らく億万長者にでもなって暇を持て余さない限りマーベルに本格的に手を出すことはないと思われます。


さて、そんな僕ですが、先日久々に邦訳マーベル作品を読む機会がありました。読んだのは『ドクターストレンジ&ドクタードゥーム』という作品です。




マーベルの邦訳作品というのは本当に久しぶりで、最後にスパイダーマン関係の作品を読んだのが最後だったと思うのですが、やっぱり普段DCしか読んでないとマーベルの知識がまるで蓄えられないものですね。表題の通りドクター・ストレンジとドクター・ドゥームが共闘する話なんですが、恥ずかしながらドクター・ドゥームがラトベリアの王だってことをすっかり忘れてました。ドクター・ストレンジのことも今年公開された映画ぐらいでしか見る機会がないのでほとんど予備知識は皆無に等しい状態で読んだわけです。


で、感想はどうだったと言うと、何というか、すごく新鮮でしたね。普段DC作品を読んでいると、ある程度知識があるのでどうしても「こんな感じの話になりそうだな」とか、「ここでこのキャラが出てくるの良いな」とか考えながら読んでしまうものなのですが、今回はそれがない。
ストーリーとしてはヒマラヤ山脈に住む「老ジェンキンス」という高齢の魔術師が100年に一度開かれる魔術師の大会みたいなものを開いて、全世界の魔術師の中で誰が「至高の魔術師」、つまるところマーベルでよく聞く「ソーサラー・スプリーム」に相応しいかを決めることになるのですが、この大会にドクター・ドゥームがやってくるわけです。ドクター・ドゥームが魔法を使えるなどということを知る由も無い自分は「なんでお前がここにいるんだ!?」って感じで展開が全く予想できないんですよ。

そもそもDCで魔法を使えるキャラとなると、ザターナとかコンスタンティンとか、魔法関係でいうとシャザムやエトリガン・ザ・デーモン、最近映画に登場したエンチャントレスみたいな具合で日本における知名度がコンスタンティン以外あんまりないし、コミックも少ないんですよね。そういった点で魔法を使うキャラが出てくるのはとても新鮮で、いつもとは違うバトルシーンが楽しめました。



その後大会の優勝者はストレンジに決まり、至高魔術師の称号を得るのですが、至高魔術師になった者には他の実力者たちの願いを叶える務めが生じることが発覚。最後まで残っていたドゥームの願いを叶えなければならなくなってしまいました。そんなドゥームの願いはかつて悪魔メフィストにそそのかされ、死者の国に囚われたドゥームの母シンシアの魂を救い出すこと。渋々ながらもそれを了承したストレンジはドゥームとともにメフィストと対峙することになります。


読んでいて特に面白かったのは、ゥームが魔法に対して科学で対抗していくところです。例えば魔法の光線が発射される前に生じる赤外線から光線の方向を計算して魔法を避けたり、ストレンジも防ぎきれない魔法の砂嵐をアーマーの防塵機能で難なく対処したりと、魔術師の常識にとらわれない戦い方をするのが興味深かったですね。魔法に科学で対抗できるとは思わなかったのでこうしたシーンも新鮮でした。


ただストレンジも負けず劣らずユニークで、本書に収録されている別の短編で自分の家に弟子にしてくれと押しかけて来た一般市民に魔法をかけて逆に押し返し、その後一般市民から自分に関する記憶を魔法ですっ飛ばすなど、マーベル慣れしていない自分には何でもアリ感満載で思わず笑ってしまうシーンが多々ありました。予備知識がない分、純粋にコミックそのものを楽しめている感じがして改めて色々なジャンルに手を出すことの魅力を再確認できた気がします。



また、本編の途中では初めてラトベリアを訪れたストレンジにドゥームの使用人がドゥームの過去を語ったり、死者の国でメフィストの攻撃を受けたストレンジが自分の過去を追体験する幻惑を見せらたりと、自然な流れでキャラクターの設定やアイデンティティーを紹介し、初心者にも十分楽しめるように配慮されているのも親切で有難かったです。




こうやって感想を書いてみるとやっぱりもっといろんな作品に手を出してみたいなあと改めて思うばかりです。今更マーベルに手を出してもついていけないかな、なんて思っていましたが、この機会にマーベル作品の邦訳もまた少しずつ読んでいこうかなと思いました。そういえばマーベルのカラーシリーズの邦訳を積読していたので、今度はそれでも読んでみようかと思います。スパイダーマン:ブルーは以前読んだのですが、読後にこんなにも切ない気持ちになったのはこれが初めてで、正真正銘の傑作だったので今から楽しみです。


ちなみ同じジェフ・ローブ&ティム・セールのコンビが手掛けたDC作品だと、バットマン : ロング・ハロウィーンバットマン:ダークビクトリーがお馴染みですが、「スーパーマン・フォー・オールシーズン」も名作で是非読んで頂きたい作品です。「マン・オブ・スティール」を観た方にはきっと「あ!このシーンは!」と思える発見があると思いますよ!




そんなわけで、ジャスティスリーグ公開を控えた週末ですが、マーベルもいいよねって話でした!

また次回お会いしましょう!


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