失われた父を求めて『ファン・ホーム ある家族の悲劇』


その昔、僕がまだアメリカンコミックスを読み始めたばかりの頃はどんな作品を読んでも心の底から感動したものでした。日本の漫画とは違う、映画を観終わったかのような読後感に酔いしれ、読めば読むほどその魅力にどんどん引きずり込まれていきました。

しかしそうやって多くの作品に触れていけばいくほど、読み始めた頃の感覚は失われていきました。いつしか僕はアメコミに慣れてしまっていたのです。スーパーヒーローコミックを読んでも、「まぁこんなもんか」程度の感想しか抱かなくなり、もの足りなさが残りました。確かに面白い作品は沢山あります。しかしあの頃のような感動を味わえる機会はなかなかありませんでした。

ですがそれでもアメコミは僕を惹きつけてやみません。
確かに読み始めた頃の感動は失われました。しかしアメコミに慣れてしまった今でも時に、身震いし、度肝を抜かれるような作品に出会う瞬間があります。こうした作品の特徴は、読み終わった後の読後感も凄まじいものがありますが、何より読んでいる時点で既に分かるのです。「これは凄い作品だな」と。こういった作品に出会えるからこそ、アメコミはやめられないのです。

そして今回、公認ブロガーとしてこの作品を読んでいてはっきりと分かったのです。「遂に来たな」と。
はっきりと言ってしまいましょう。今回取り上げる作品は言うまでもない傑作であり、現時点で僕が公認ブロガーとして取り扱ってきた作品、そして12月から発売されてきた作品の中で最も完成度が高く、そして何より興味深い内容になっているということを。

その作品こそ、ファン・ホーム  ある家族の悲喜劇です。



ファン・ホーム ~ある家族の悲喜劇〈新装版〉~ (ShoPro Books)

既に大絶賛の本作ですが、恥ずかしながらもし公認ブロガーになっていなければこの本を手にすることは無かったでしょう。いや、そもそも存在すら知らなかったかもしれません。
それもそのはずと言うべきか、本作は他のアメリカンコミックスとは明らかに異なっています。それは内容から展開に至るまで様々な点に言えることなのですが、それは後程紹介するとして、まず強調しておきたいのはこの作品がスーパーヒーローコミックではないということ。ジャンルとしてはグラフィック・ノベルに分類される作品です。

我々日本人にとって、アメコミと聞いて連想する作品にはスーパーヒーローコミックのものが多いのですが、日本の漫画のジャンルが多種多様であるように、アメリカンコミックスにも様々なジャンルのものが存在しています。この作品もその1つ。こういった作品はそもそもあまり日本では邦訳されておらず、邦訳されていてもあまり大々的に紹介されることが無いため、書店で偶然見かけたり、たまたまネットで見かけない限りは滅多にその存在を認知すること自体が難しいという現状があります。
今回は公認ブロガーであったためにこの作品の存在を知ることができていましたが、そうでなかったならば恐らく知らなかったでしょうし、見つけたとしても手には取らなかったでしょう。
しかしそれははっきり言って愚かな行為でしかありません。こんな素晴らしい作品を見逃しているということなのですから。今回こうしてこの作品に巡り合えたことを心から感謝しています。

肝心の内容ですが、正直これはもう読んでくれとしか言わざるを得ません。大変申し訳ないのですが、僕のような人間にこの作品の素晴らしさを言語化し、分かりやすく伝えることなど不可能です。ですので、もし今ここまで読んでいただいた時点でこの作品に興味を抱いた方がいらっしゃったなら、悪いことは言いません。今すぐ下のリンクから本作の特設サイトに飛び、第1章の試し読みを読んでください。その方がいいに決まっています。
冷静に考えて下さい、第1章がまるまる全部読めるんです。こんなに素晴らしいことはありません。

さぁどうぞ、下のリンクを踏むのです。そうすれば全て分かります。
ファン・ホーム 特設ページ


おや、どうやらまだこのブログを見ているようですね。ということは上のリンクを踏まなかったのか、あるいは特設ページから戻って来たかのどちらかでしょう。
分かりました。僕も未熟ながら公認ブロガーです。できる限りのことはやってみましょう。僕の文章力が至る範囲で、この作品を紹介させて頂きます。



まず、今でこそ傑作と評している本作ですが、僕が最初にこの作品を読んだ時思った正直な感想は
「これはちょっと読むのに時間がかかりそうだなぁ」
ということでした。そう感じた理由は幾つかありますが、第一に、本作が極めて文学的であるという点が挙げられます。

試し読みをされた方はお分かりかと思いますが、本作は“グラフィック・ノベル”というジャンルからも分かるように、漫画と言うよりは「絵付きの小説」のような構成になっています。
基本的に物語は語り手が過去を回想するという形式で進行するため、本作の文章の多くは登場人物の発言ではなく語り手のモノローグが占めています。こういった作品は珍しくはありませんが、日本人にとってのステレオタイプなアメリカンコミックスと比較するとかなり異質な作品であるため、普通のコミックスを想定して読み始めてしまうと、その文章量の多さに一気に疲れてしまうかもしれません。実際に僕も始めは慣れるのに時間がかかりましたし、慣れてからも読破するのに相当の時間を要しました。

また、本作が文学的であるのはその構成だけではありません。その内容や展開も小説そのものなのです。
本作のストーリーは平たく言ってしまえば主人公アリソンとその父ブルースの関係性をアリソンの幼少期から現在に至るまで、様々な観点から見つめた、自伝的な内容となっています。先程書いた語り手とはこのアリソンのことです。
これだけ読むとある意味よくあるような話ですが、この作品が他と違うのはその親子関係の複雑さと壮絶さにあります。

主人公アリソンの父ブルースは誰よりも美意識が強く、何に対しても美しさと完璧さを求める気難しい人間でした。その異様なまでの美への執着は時に彼の態度や行動を豹変させ、アリソンは彼に対して畏怖の念を抱くようになります。自分だけでなく、家族の行動まで自分の美意識を貫こうとするブルース。アリソンの人生はまるで父が主役のように進んでおり、彼女は何とかしてそれに反抗しようとしていました。

そんな彼女に待ち受けていたもの、それは彼女が20歳の時に起きた突然の父の死でした。しかも死因は自殺。トラックに飛び込み命を絶ったのです。あれほど何もかも完璧に計算し、美しさを求めていた父の最期はあっけない交通事故だった。
これまで幾度となく父の美意識に触れてきた彼女にとって、それは受け入れがたい真実でした。

自身の人生にまるで自分が主役であるかのように君臨し続けてきた父の存在は、この出来事によって遂に消えたかに見えました。
しかし結果として彼女に自分の人生が訪れることはありませんでした。父の突然の死によってもたらされた喪失感は彼女のその後の人生に暗い影を落とすことになります。死してなお、ブルースは彼女の人生の中心であり続けることになっていくのです。
気難しい父という要素だけでなく、その父が他界した存在であるという点が、他の物語とは一線を画すような内容になっているのです。

ここまで読んでお分かりかと思いますが、本作はコミックではなく、むしろ小説などを用いるのが一般的なように感じられる内容になっています。文学的なのは形式だけではないのです。
さらに特徴的なのは作品内に登場する膨大なアメリカ文学作品の数々。
アリソンと父ブルースの共通点の1つが文学に対する関心。元々アメリカ文学に造詣が深かったブルース、その美意識を追及した人生はまさしく文学的だったと言っていいでしょう。全7章で構成される本編では各章ごとに文学作品をテーマとしたタイトルがつけられており、ストーリーの中でも多くの文学作品が登場します。父との共通点であった文学を通して父を理解しようというアリソンの試みが作品内に反映されているのです。
よって、本書を読む上で、アメリカ文学は欠かすことのできない要素となっています。

しかし物語を紐解いていく上で、アメリカ文学の知識は絶対に必要なわけではありません。もし分からない用語があったとしても、そのほとんどは巻末に付属している解説にこれ以上丁寧にできるのかというほど詳細に説明されています。たとえ文学作品に疎かったとしても、この解説がサポートしてくれることでしょう。

こうした幾つかの要素が組み合わさることによって、本作は非常に複雑かつ文学的な内容に仕上がっています。その重厚な内容から、恐らく最初は僕のように読み辛さを感じてしまうことと思います。
しかしどうかそこで本を閉じずに、第1章の最後まで読み終えて欲しいのです。そこまで読むことができれば本作に慣れると同時に、その内容にのめり込んでいくようになります。実際僕も第2章から驚異的な面白さに気付きました。コミックらしからぬ内容でありながら、絵と文章が組み合わさることによって生まれる小説では表現できない世界観、文学的手法なども多く用いられ、普段のコミック体験では味わえない読みごたえもあります。

そして何より驚いた点、それは本作が“実話”であるという点。これは別に隠されていたわけでは無く、最初から明かされていた事実だったのですが(そもそも作者の名前が“アリソン・ベクダル”さんな時点で明らかですね)僕は見落としてしまっていました。
しかしそれ故に気付いた時の衝撃は計り知れないものだったのです。こんな壮絶な人生を生きた人がいたのかと。そしてこんなことが本当に起きたのかと。事実は小説よりも奇なりとはこのことかと感じた瞬間でした。そして同時に感じたのです。「これは傑作であり、多くの人が読むべきものである」と。

さらに、本作には親子というテーマだけでなく、物語をより複雑に、かつ壮絶にしているもう1つのテーマがあります。
実は主人公アリソンは幼少期から女性でありながら男性的な興味関心が強くあり、それは行動や服装に反映されていました。そう、彼女は“セクシュアルマイノリティ”だったのです。
しかし衝撃はこれで終わることはありません。彼女はずっと父にこのことを隠し続け、父自身もアリソンが女性らしく振舞うようにいつも注意していました。しかし彼女が成長し、両親に自身の性に関する真実を伝える手紙を送った時、母は彼女にこう告げたのです。
「父もまた同性愛者だったのだ」と。

何度も言いますが、これは実話です。これは作者アリソンさんの自伝なのです。これほど数奇な人生があり得るのでしょうか。これまでずっと父はそのことを告白することなく生きていたのです。まるでこれまでの自分のように。アリソンにとって、唯一父とは違う点だと思っていた性に関する秘密ですら、結局は父と同じ。物語の中心から父が消えることは無かったのです。

こうして物語はますます複雑化していくことになります。自身がセクシュアルマイノリティであるということを知った父、そして父がセクシュアルマイノリティであることを知ったアリソン、ありとあらゆる点で父の姿が垣間見える人生を送るアリソン、その先に彼女が思うこととは。壮絶な人生の記録を、是非手に取って確かめてみて欲しいと思います。読み終わった後、きっと家族に対する考えに新たなる視点が加わるはずです。

さて、本作が素晴らしいのはその内容だけではありません。作品を紡ぐもう1つの要素であるアートもまた素晴らしい仕上がりになっているのです。

まず第一に、本作のアートは作品の内容と驚くほどマッチしています。それは作者アリソン・ベクダルさんが脚本とアートを両方担当しているからに他なりません。フルカラーではないブラック&ホワイトを基調としたカラーリングは後述する作品の内容と見事にマッチしており、白と黒にもかかわらず作品を鮮やかに彩り、作品全体の雰囲気をこの上なく表現しています。


そして何と言っても素晴らしいのはベクダルさんの描く人物、特にその表情です。真顔から笑顔、むすっとした表情から憤怒の表情まで、もはや生きているかのように描かれています。その場面で登場人物がどういった感情を抱いているのかが一目でわかります。


さらに凄まじいのは細部に至るまでの描きこみ。本作では実在する書物や写真など、様々な資料が登場しますが、そのすべてが手書きで丁寧に描きこまれています。それ以外の建物の内装や外装、街並みも含め、とにかく細かいのです。この細かい描きこみと人物の描写、そして白と黒の色彩が作品をより完璧なものにしているのです。ページをめくる度に、我々は父と娘の数奇な人生に、圧倒的なリアリティを持って引き込まれていくことになるのでした


さて、ここまでなんとかご紹介してきたファン・ホーム 、いかがだったでしょうか。やはり僕では力不足だったようです。上手く紹介できなかったことをお許しください。

作者のアリソンさんは幼少期から現在に至るまで毎日欠かさず日記をつけているそうです。作品がここまでリアリティを伴っているのはこれが要因なのでしょう。
また、本作は国内外でも多くの賞を受賞しており、僕だけでなく多くの人々から支持されている作品です。もし書店でこの作品を見かけることがあったなら、是非手に取ってみて欲しいと思います。セクシュアルマイノリティに関する理解が進んでいる今だからこそ、この作品を多くの人に知ってもらうべきであると僕は思っています。

それではまた次回お会いしましょう!

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