穏やかで退屈な夏休み ジョン・マクノート『Kingdom』ミッドナイトD #3

2018年も残すところあと僅か。街ではイルミネーションが輝き、クリスマスシーズンが今年もやって来ました。

12月と言えばクリスマス。これは間違いありませんが、もう1つ12月にあるイベントと言えば大晦日。親戚や家族みんなで集まって、温かく新年を迎える方も多いことでしょう。そしてそんな大晦日のためにご実家へと帰省される方も多いのではないでしょうか。

しかしこの帰省というイベント、皆さん的にはどうなのでしょうか?僕の個人的な経験から言うと、はっきり言って帰省ほど退屈なイベントもないように思えるのです。

思い返してみれば幼い頃、祖父母に会いに行こうと言われた時、あまり心が踊らなかったように記憶しています。せっかくの休みにわざわざ長時間車を走らせ、渋滞に引っ掛かりながらようやく着いたかと思いきやそこは華やかな都心からは外れた閑静な住宅街。温かく出迎えてくれる祖父母の存在は確かにありがたいものの、そこで実際に何をするかと言えば特にこれといったサプライズもなく、何となくテレビを見たり外食に行ったり。

たまには出掛けることもあるものの、ちょっとした水族館や動物園のような所をブラブラしておしまい。何とも退屈な時間を過ごしながら、異様に長く感じられる時の流れに身を委ねていた自分がいました。早く家に帰りたいなぁと常々思っていたものです。

こんなことを考えているのは少数派かもしれませんが、僕のような日々を過ごした方も少なくないのではないでしょうか。穏やかだけどどこか退屈。今回ご紹介するのはそんな家族の休日を思い起こさせてくれるブリティッシュ・コミック。ミッドナイトダイアリー第3弾はジョン・マクノート作『Kingdom』です。

画像 : Kingdomより引用

アメリカン・コミックスを主に取り上げてきたこのブログ、これまでもイタリアン・コミックスパニッシュ・コミックBDなどは取り上げてきましたが、ブリティッシュ・コミックは初めてのご紹介です。僕自身もブリティッシュ・コミックはこれが2冊目で、1冊目はパイインターナショナルから出ている『ゴリアテ』という邦訳作品でした。
(実はこの作品、レビュー記事を昨年書きかけたまますっぽかしてたのでちゃんと書いて今年中にアップしようかな…?)


 
作者のジョン・マクノートさんはイギリス西部ブリストル生まれ。現在もこの地でコミック作家だけでなくイラストレーターとしても活躍されており、ニューヨーク・タイムズ紙やウォール・ストリート・ジャーナル紙のカバーイラストに加えポスターデザイン等も手掛けられています。また、シルクスクリーンの作品も手掛けられているそうで、マクノートさんの公式Twitterには作業過程が動画でアップされていたりします。

本作はそんなマクノートさんが手掛けた最新作でロンドンに本社を構えるNobrow社から出版されています。マクノートさんのコミック作品はこれで4冊目に当たり、これまでも主にNobrow社から3作品が出版されているようです。


舞台はイギリス。主人公アンディーと妹のスージーは夏休みに入り、お母さん(改めて確認しましたが作中で名前は確認できないと思います)が「子供の頃、世界で最も好きだった場所」と語るとあるキャラバンパーク(劇中の風景を見る限り、避暑地のようなものみたいです)へ向かうことになりました。
お母さんにとっては人魚のいる洞窟や絵のレッスンをしてくれた(子供達にとっては大叔母にあたる)リジー叔母さんとの思い出の地なのですが、当の2人は到着前から退屈さを隠せません。特にアンディーは反抗期に入っており、あまりお母さんとの関係はよろしくなく、妹のことも煙たがりPCゲームに夢中な様子。
「せっかくの休みなのに…」いかにも暇そうな2人を乗せて、車はパークへと向かいます。

そんな3人が目指す『KINGDOM FIELDS』美しい海岸と様々な動物が生息する小高い丘、閑古鳥が鳴く遊園地に囲まれたいかにも穏やかでのんびりとした土地。携帯の電波も中々入らないような田舎町で、2人の退屈な夏休みが描かれていきます。

本作の最大の見どころは何と言ってもマクノートさんの個性的なアートワーク。
彼のアートの特徴の1つはこれでもかと言うほどに細分化されたコマ割りにあります。例えばこのページ、何と34コマ割り!

画像 : Kingdomより引用

何もそこまで分けなくても…と思われるかもしれませんが、このコマ割りは作中において実に効果的に機能しており、アンディーの目に映る全ての物を1コマずつに分けて描くことで本当にキョロキョロしながらその場を歩いている感覚を生み出したり、時の流れの連続性を限りなく現実に近い形で表現したりすることに成功しています。

また、シルクスクリーンも手掛ける彼ならではのアートは見るだけで穏やかな気持ちにさせてくれるような温かな雰囲気に包まれています。その穏やかさの秘密は彩度を抑えたカラーリング。一見すると色自体は種類も少なく決してカラフルではないものの、その彩度を抑えた風景に巧みに混ぜられた「白と黒」によって殺風景なページはたちまち温かな光と影に包まれ、穏やかな光に満ちた風景が豊かに広がっていきます。

画像 : Kingdomより引用

しかも光だけではありません。これは読んだ僕にも未だに解明できないのですが、この作品、至る所で風を感じるのです。
実際にはっきりと風が吹いている描写はほとんどなく、基本的に1コマ1コマは極めて静的でまるで時間が止まったように描かれています。しかしそれにもかかわらず、ページをめくる度に明らかに心地よいそよ風が吹いているのです。ほんのわずかな弱い風、しかしながら強すぎず弱すぎもしない。そんな風が辺りを包み込んでいます。それはあたかも子供の頃に感じたあの感覚。午後の昼下がり、何にもすることが無い退屈な時に感じた何とも言えない穏やかさ。その感覚がまさしく目の前で鮮やかに蘇り、肌で感じられるのです。

画像 : Kingdomより引用

そしてさらにもう1つ。こればっかりはもう本当に凄いとしか言いようがないのですが、この作品、明らかに音も感じられるのです。それも全てのシーンで。何気ない車中の風景もそよ風の吹く丘も、窓の外では大雨が降っている博物館も波が打ち付ける岸壁も、挙句の果てにはテレビを見ながら過ごすただの夜のシーンに至るまで。全てのシーンでその場で生み出されている音がはっきりと聞こえてくるのです。
本作では擬音が比較的多く用いられていますが、そうした擬音は主にスマホの操作音や鳥の鳴き声が中心で、擬音が一切ないコマの方が多くなっています。なのに聞こえるのです。擬音が無くてもはっきりと分かるのです。想像ではありません。間違いなくこの音だと理解し、それを感じている自分がいることに気付くのです。

何故こんなことが起きるのか、これを文章化することは僕には出来ません。ただ1つ確かに言えるのはマクノートさんのアートは唯一無二の魅力を秘めており、そしてそれは遥かに高い次元で完成されているということです。
ページを捲った瞬間から我々は既にイギリスの海岸沿いにある避暑地にいて、はっきりとした意識でそこに立っているのだと感じられます。光と風と音が織りなす完璧なまでの調和、そしてそれの心地よさ。派手なことが起きるわけでもなく、手に汗握る展開もない。しかしそこにはまさしく誰しもが体験したであろう懐かしき日々がそっくりそのまま描かれているのです。そしてそれがあたかも現実に自分の身に起きた出来事だったと信じ込ませる力をマクノートさんのアートは秘めているのです。物語が終わるころには、たちまち彼のアートの虜になっていることでしょう。

本作の魅力を伝えるにはこれでもう十分なのですが、最後に僕が気に入ったシーンをご紹介。
妹スージーはお母さんと共にリジー大叔母さんを尋ねます。昔話に花を咲かせる2人に対し、スージーはとっても退屈な様子。そんな時、大叔母さんがまだお母さんがアンディーと同じくらいだった頃に大叔母さんとピート叔父さんと一緒に写っている写真を見つけました。その写真がこちら。


画像 : Kingdomより引用

何ということでしょう!あんなに世界で最も好きだった場所だと言い、子供達よりもウキウキしていたようなお母さん。それなのに、全く笑ってない!しかもこの後大叔母さんに思い出話を振られるお母さんですが、「ああ、そうだったかしら。よく覚えてないわ。それより写真を撮らせて。ピートに見せてあげたいの」といった具合で、昔を懐かしむ大叔母さんとは対照的にあまり関心がない様子を見せ、スマホでピート叔父さんに写真を送るのでした。

これを読んで僕は思いました。「ああ、やっぱりそんなもんなんだな」と。

この作品で描かれているのは正確には帰省ではありませんが、お母さんに連れられて大叔母さんの住む避暑地に行くアンディー達はまさしく帰省する僕そのものです。帰省する度に父や母はお母さんと大叔母さんのように祖父や祖母と楽しそうに会話をしているけれど、当の僕はと言うとスージーのように全く持って退屈でした。
ではそんなお母さんは子供の頃楽しかったのでしょうか?写真を見れば明らかです。そう。スージーと同じように、彼女もまた退屈だったのです。楽しそうにしてはいるけれど、実際は同じように暇だったのでしょう。

しかしそれでもお母さんは本当に幸せそうに昔を語り、大叔母さんと話をしています。昔は退屈だったはずなのに。一体それは何故か?
答えは言うまでもありません。お母さんはあの頃より年を重ねたのです。




これは僕にも本当によく分かります。冒頭で帰省はつくづく退屈だったと書きましたが、信じられないことに今となっては何故あの頃がとてもよかったように思えてくるのです。そしてここ最近はむしろもっと祖父母と話をしておきたいと思うまでになっている自分がいることに気付きます。まだ元気なうちにというのもそうですが、それ以前にただあの頃について話してみたいと純粋に思っているのです。こんなことを考えているとは、当時の僕に言ってもきっと信じないでしょう。

しかし、これはきっと誰もがそういうものなのでしょう。帰省と言うのは子供にとっては退屈でつまらないものなのです。しかし年月を経ることで、いつしかその頃に感じることができなかった安らぎや幸せを感じ取ることができるようになるのでしょう。子供には分からないものがそこにはあって、それはとてもかけがえのないものなのだろうと思います。

そしてその後のシーン、スージー達を見送った後、リジー大叔母さんは去っていく車を静かに見つめ、穏やかな顔つきでどこか悲しそうに家へと戻っていきます。スージーがそのかけがえのなさに気付く時、果たしてリジー大叔母さんはまだこの家で待っていてくれるのでしょうか。静かな時の流れを感じさせながら、物語はこの後も穏やかに流れて行くのでした。

画像 : Kingdomより引用

さて、ここまでご紹介して参りました『Kingdom』いかがでしたでしょうか。

優しく穏やかなストーリーとそれを完璧に彩る温かなアートの数々。ただただシンプルに美しいと思える瞬間に満ちた唯一無二の作品に仕上がっていると言えるでしょう。
最初この作品をたまたまTwitter上で見かけた時は何となく好みの絵だからという軽い気持ちで購入しましたが、今となっては忘れられない1冊となりました。はるばるイギリスから取り寄せて、本当に良かったと思っています。

懐かしい顔ぶれが集まるこの季節、ふっとあの頃を思い出してみると、当時は感じられなかった大切な何かが見つけられるかもしれませんそんな特別な時間のお供に、是非手に取ってみてはいかがでしょうか。

それではまた次回。


Image Source: Kingdom by Jon McNaught




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